Lectures

   

Lectures (タイトル, 登壇者, 会場, 都市/ 招聘者)

02. 2011 「朝鮮学校ダイアローグ 関連イベント:「もう一つのジモト」をアートする–,

         岡田毅志・川端浩平・川端路子・清水直人・ソン ジュンナン・

         本田孝義・真部剛一・森末治彦・宮ヶ迫ナンシー理沙・るんみ,

           旧岡山朝鮮初中級学校 6教室, 岡山/ ダイアローグ岡山

  

朝鮮学校ダイアローグのイベントとして、出品者と研究者、社会学者によるシンポジウムがあった。

 

多様なバックグラウンドを持つ、作家個々人の経験や感覚から見た「ジモト」とは何なのか、自身が見てきた風景や記憶とは何だったのか。様々な「ジモト」を表現した作品が朝鮮学校という場に持ち寄られ、ダイアローグが交わされるとき、まだ見ぬ「もうひとつのジモト」が立ち現われてくるだろう。(展覧会チラシより)

 

司会・進行:富田真史(ダイアローグ岡山)

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川端()  作品『ダイアローグまでの日々』は、イベント開催までの記録と私の個人的な日常の記録のドキュメンタリーです。後半は『岡山物語』、第二部から「幽霊についての話」を併せて上映しています。

 

宮ヶ迫  私はブラジルで生まれて、9歳のときに日本に来ました。子どもの頃に外国に生まれて日本で育った同年代の人びとの会話が面白くて、9人のライフストーリーのドキュメンタリーを制作しました。日本で増えている外国生まれの子どもたちの教育の環境がどうなっているのかを研究のテーマにしています。

 

清水  岡山県の玉野市でアトリエを構えて作品を制作しています。普段は身のまわりにある気になったことを、作品を通して皆さんに感じ、考える機会になればなと思って作品を制作しています。自分が思っていることに応じて素材、メディアを決めています。今回は「もう一つのジモト」ということをテーマに作品を出品しているんですが、「自分にとってジモトってなんだろう」ということを考えているうちに浮かんだイメージを自分の心のメモとして記しました。床に置いているのは、幼い頃の自分をみている感じで、作品に触れて頂けたらなと思います。

 

岡田  京都で現代美術の作家として活動しています。今回の作品は、この藤田、朝鮮学校に去年のプレイベントではじめて来ました。この一年、ずっと「何と対話するのかな」と考えていました。結局、自分が何かと対話するからには、相手の方やものや風景と関わりをもつということなんですが、誰と何と親身になって関わっているのか、教室で迷いながら作っていました。唯一、その場所に存在していたということは自信をもって言える。学校の校舎や藤田の風景というより、もう一歩引いた、「ここはどういう場所だったんだろうな」という、イメージとしての対象と対話していた。もう一つの意味合いとしては、対話をすすめていこうと思うと、「自分自身がこういう人間ですよ」という紹介がないと対話が始まらないので、今回の作品は自己紹介的なニュアンスが含まれたかなと思います。

 

本田  ドキュメンタリー映画の監督をやっていますが、なぜか、現代美術展で映像作品を出展することも多いです。高校卒業まで岡山に住んでいましたが、去年のプレイベントでここに呼ばれるまでは、藤田の朝鮮学校については知らなかった。去年のシンポジウムでは、「地域の住民がこの学校をどう思っていたのかな」という疑問が頭にあったので、学校の内と外に居られた方々のインタビューを流すことで、仮想的ではありますけど、教室で内と外の声が対話するような作品を作りました。

 

るんみ  中学まで朝鮮学校に通い、卒業してからは清心高校に進学しました。いま、すごくワクワクしています。この教室で勉強したのは中2で受験勉強しているときで、教室の後ろに書いてある字は自分の字じゃないかな。ダイアローグについては姉も参加していたので話は聞いていたが、存在自体がすごい。以前、私は日本の学校に通う在日の学生を集めた学生会と、韓国民団の両方に顔を出して、互いに紹介をしていた。「なんで分かれているのか?」というのがすごく疑問で、「一緒になっちゃえばいいのに」、「いつになったら一緒になるんだろう」と思っていた。作品は、朝鮮学校を卒業して日本の社会でいろんな人に出会った自分の視点、世界地図のうえの雲の上に自分が立って物事をみている視点です。在日にも日本人にも共有したい、こういう視点がるということを知って欲しいと思ってつくりました。

 

    ここで、来場者(ゴンチャさん)からアイスの差し入れ

 

ソン  神戸出身で、神戸の朝鮮学校に高校まで通いました。二つの作品のうち、教室のチョゴリの作品(「また着たい(もう着ることはない)」)は、シリアスな現実の部分で、屋上の作品(「セットンカラー in 藤田」)は、気持ちのいい作品です。学校だけではなく、在日がいいイメージとナーヴァスな部分を抱えている。

 

真部  去年のプレイベントでゴンチャさんと出会いました。それからの縁で中央町に飲みに行ったり、一緒に遊びながら観察していました(笑)。今まで在日コリアンとの関わりがなかったので、分かってくることがいっぱいあった。それぞれの思いを聞いて行くうちに、「出会ってしまったからには何かやるべきことがある」という気がした。同時に、私自身の生まれ育った岡山についても考えはじめ、重ね合わせていくようになった。作品は、ゴンチャさんとの関わりのなかで何か形にしたいということで、最終的に食堂の巨大な鉄板を形にしました。店を始めた1世のおじいさんと3世のゴンチャくんが、どう繋がっているのか、大事な部分をどう残していっているのか気になるところだったので、1世と3世のつながりを水の波紋、焼肉の匂いとして表現しました。

 

川端(浩)  長年、海外にいるなかで、自分のルーツ、知ってそうで知らない地元への想いが強まった。そう言うと「地元ラブなんだね」と言われるが、自分にとってここはつまらない場所、出たかった場所なんです。大げさに言えば、愛憎がある。たとえば、岡山と聞けば「桃太郎」で地元が語られてしまうが、自分のなかのイメージと一致しない。地域のイメージに映らない私たち、もう一つの価値観が「もうひとつのジモト」という言葉に込められている。「岡山」と聞いて、在日コリアンの歴史は誰も想像しないものですが、間違いなくこれもジモトの風景。これは在日だけの問題ではなく、同じ岡山に住んでいても自意識の形成についてはそれぞれ異なっている。そういうことを自分たちの言葉で、ジモトについて語り合っていくことの重要性を感じている。

 

富田  階段を上がった最初の教室にるんみさんの作品、屋上にジュンナンさんの作品がある。最初と最後に朝鮮学校出身者の作品があるのは偶然ではないです。最初にこの場所を貸してもらうとき、総連の方に言われたのは無償化問題、現役の水島の学校などを日本の人たちにアピールして欲しいということを言われた。こういう場所を貸してくれた在日社会に還元したいと思う。

 

    質疑

 

来場者  岡田さんが「自分が誰とダイアローグしたか?」と自問した、とおっしゃいましたが、イベントの名前である「ダイアローグ」が大きなテーマだと思うので、それぞれに何と対話しながら作品を作ったのかお聞きしたい。

 

岡田  ダイアローグに参加するにはダイアローグするんだと思っていたが、自己紹介の相手がわからないということでモヤモヤしていた。最終的に決着したのが、「ここがたとえ藤田という地名でなくても、ここがもし元朝鮮学校がなくても、ここに魅力を感じる作品がつくれるか」ということを考えました。何べんか下見に来ることで接点はあったが、個人的に関わるというのはピンと来ない。自分が持っている朝鮮学校や藤田というイメージは先入観であって、何も知らずにポツンと来たときに、受け取ったものだけを信じるようにしたい。頻繁にここに来て眺めたり時間を共有するしかない。最終的なプランとして、ここから見える風景が窓を見たときに浮かんできた。もし、300400年前に、そのときに僕がこの高さで存在したとすれば見えていたであろう風景。最終的に「誰と対話したのか?」と言われると、自分自身のなかにあった既存の先入観、具体的な学校という空間、去年のシンポジウムを参加したことで持ってしまったイメージとの対話だった。

 

川端(浩)  対話の相手というより、この活動をしていくときのモードについて言うと、イベントへのコミットメントは、身近な人と同じようなテンションやモードで対話ができないかと思っている。たとえば、身近な人には親切で、それ意外は不親切になってしまうことが生じ易いと思っていて、バランスよく身近な人も遠くの人もコミュニケーションできないかと常に考えている。

 

森末  アーティストが入る事でいろんな関係が生まれる。昨晩、清水さんが黒板に書いた「ぼくは12歳」の詩の横で、都重さん(在日本朝鮮岡山県 岡山地域商工会)が頭を抱えながら翻訳している。これが清水さんの意図したものかどうか、僕は分かりませんが、こうした偶発的な関係性や表現を呼び込むところにアートプロジェクトの魅力があると思う。

 

真部  るんみさん、ジュンナンさんの作品を通して、朝鮮学校の様子がリアリティをもって甦る。そこでお二人に、朝鮮学校にいた当時の記憶や風景と、今回参加を通じて変わったもののイメージについてお聞きしたい。

 

ソン  日本に居ながら在日が居ないということは、イベントだけでなく普段の生活でも感じている。在日が何かやっているかといえば、そうでないと思っている。自分たちが何かしようとしていないという感じは普段から感じていて、寂しく思っている。世界や物事と向き合うという部分では、作家でなくとも一人の人間として動くしかない。学校がなくなるということは、人やコミュニティがなくなるということ。ここの学校に来たとき、最初、学校の裏のゴミ捨て場のような資材置き場が印象的で作品をつくりたかった。廃校で色のない学校の屋上にあがったとき、岡山の風景が見えて、資材置き場のカラフルなイメージが僕のなかで転換された。日本の方がイメージ出来ないという意味でも色がないし、自分たちもグレーのなかで生きている。鉄柵にカラフルな色を入れたら、(学校が)元気だった時が見えてくるかなと。から元気かもしれないけど。僕はそういう風にこの学校と向きあった。

 

るんみ  在学中に交流会で日本の先生が学校に来たとき、「ここの自販機で日本のお金使えますか」と聞かれたことがあった。それぐらい壁があった。私も藤田に住んで歩いて学校に通っていたのに、藤田の想い出は無く、学校の想い出しかない。それが、日本語をしゃべってはいけないこの教室で日本語をしゃべっている。「すごい事がおこっている」と思っている一方で、「ぶつかりきれなかったのかな」という思いもある。次が楽しみだなという感想です。この状態は、前に見たものと似ているなと感じた。それは、人権教育に熱心な先生が、在日の子どもたちを集めて、チマ・チョゴリを着せたり、チャンゴを叩きなさいと言われても、日本名で通う子どもからすれば「朝鮮人だよ」と言われても戸惑ってしまう。とはいえ、もともとの経緯を考えれば、学生本人がチャンゴを叩きたい、言葉を習う場所もないという想いから集まって始めた経緯があったのは事実。だから、中から湧き出てくるものが形になるというのが、やっている人にとっても気持ちいいし、外から見ても伝わるものだなと思っています。(この企画も)それと似ていて、今後も続けばいいかなと思っています。

 

本田  るんみさんが言った事とも重なるが、僕も「壁があったんじゃないか」と、去年直感的に思ったことが、作品制作の出発点になった。地域の方の話を聞いていて気づいたことのなかで、面白いなと思ったのが、「おれたちもここに来て、三世代だから。おれたちもよそから来たんだから」という言葉。一見、藤田は農村風景だが、干拓地で歴史が浅いということと、在日の歴史の浅さが共通しているため、違和感がなかったということだろう。こうした意見が全体ではないだろうが、なるほどなと思った。

 

富田  宮ヶ迫さんの川崎は多文化共生のイベントが盛んだと思うが、こういうイベントをどう考えますか?

 

宮ヶ迫  いま住んでいるのは、川崎から電車で1時間くらいの場所。在日の多い地域の児童館に関わるようになった。「朝鮮学校ダイアローグ」の可能性についていえば、同じようなことを考えています。いま住んでいる場所との関わり、近所の人とのつながりは、ほとんどない。まじめな話から下らない話まで友人や色んなタイプの人たちと共有したいとき、私のなかでも対話はキーワード。求めている人はいるんじゃないか。